松井なつ代のやま

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「チベットの先生」2

この本に書かれている仏教の考え方には、
目も覚めるような、納得できるものがある。

例えばこの世で人が行うどんな行為も、発言も、
目の前ですぐ起こるとは限らないが、
巡り巡って、何かに影響を与えている。
だから常に常に自分のやる事、考える事を、
意識し続ける事が大事であると。
だから修行というのは、自分の心と常に向き合い、
深く掘り下げて奥まで意識できるようになる過程である。
こういう事を続けていくと、
他の人の心の中も読めるようになるし、
これから起こる事を予感する事もできるらしい。
いろいろお見通しでありながら、
溢れるような優しさを醸し出しているのが、
立派なリンボチェなのである。

自己愛の一つの典型である自分の体への愛を捨てる、
チュウ(切断の法)という修行が怖い。
自分の身体への執着から自由になるために、
怖い魔物をわざわざおびき寄せ、
自分の身体のイメージを切り刻んで、
お供物として捧げるというもの。
この修行については、
体をズタズタに切り裂かれて死んだ人がいるとか、
怖い話もいろいろ聞いていて、
ケツン先生もはっきりって怖かったようである。
現在の日本は自己愛丸出しで、
毫も恥じるところのない人間がうようよいる。
それ自体が恥ずかしい。
少しは恥じろ…

こう言う話や、
偉いリンボチェが死んだ後消えて無くなる話や、
そもそも活仏と言われる生まれ変わりという考え方など、
科学的根拠を言えば、ありえないと言う事になろう。
科学とは、現時点で人間が証明できる事柄の事であり、
それも間違っている可能性もある。
世界のすべてをそれで知ったつもりになる事こそが、
甚だしい思い上がりである。
修行の過程がどんなものであれ、
最終的に暖かい賢明な人間が出来上がるなら、
それですべて良しではないのか。
私もスピ認定されたか?
スピリチュアルと言われても構わないが、
「系」をつけるのだけはお許し願いたい。
系の、なんという軽さ…
松井さんはスピリチュアルの人らしいよ、
と言うのなら(どういう事かよくわからんが)
いいです。笑

チベットの先生」中沢新一