「日本の枯葉剤」4
枯葉剤に行きます。
ここは結構入り組んでいてわかりにくいので、
少し整理します。
生産に関して、副産物の処理とその後の在庫の処理についてなど。
枯葉剤というのは、
もともとは農業用に開発された除草剤である。
第二次大戦中の1941年に、イギリスのICI(帝国化学工業)
によって優秀な除草効果が見出された。
そして兵器としての使い方を思いついた人たちがいた。
1945年秋に西日本で、
世界初の枯れ葉剤作戦が実施される計画だったが、
米軍は原爆を優先させたという経緯がある。
ベトナムでの米空軍による枯葉作戦は、
1961年に始まり、1965年以降、散布面積、散布量ともに激増する。
1971年まで休みなく続けられた。
枯葉剤と呼ばれる物には数種類ある。
容器の色分けが名前になっています。
オレンジ剤、245Tと24Dの混合物
ホワイト剤、24Dとピクロラム
ブルー剤、カコジル酸
森林の破壊の手順。
一回目、葉を枯らす。オレンジ剤かホワイト剤。
二回目、幹や枝を枯らす。同じ薬剤。
三回目、根を枯らす。ブルー剤。
これに引き続いてナパーム弾(焼夷弾)ガソリンの投下で、
完璧に不毛の地となる。
(ナパーム弾については後でまた書く)
米国防省の発表によると、
ベトナム戦争中に使われた枯れ葉剤の総量は、
6665万リットル(1758万ガロン=9万トン)
全米化学アカデミーの発表ではこれより100万ガロン多い。
最初は穀物の破壊、森林の破壊を目的としていたが、
途中から人的被害を最大にする改善を施している。
作戦に関しては、
できるだけアメリカが関与していることを隠すため、
など細かい偽装がマクナマラ国防長官によって語られている。
散布部隊の志願兵は、次のような条件で募集された。
「民間人の服を着て米空軍の標識のない飛行機に乗り、
捕虜になっても米政府は関知しない」