松井なつ代のやま

ステンシルのイラストや本の紹介、麹の話、そのたいろいろ。

加賀の旅2

北大路魯山人は、焼物が一番有名かもしれませんが、
最初に認められたのは書です。
自ら書いた字を、大きな一枚板に、
彫ったりくりぬいたりして、
緑青などで化粧した看板をたくさん作っています。
趣味人の引きで山代温泉にしばらく滞在し、
ここでもたくさんの看板を彫りました。
そして山代の菁華という窯元で焼物に出会ったのです。
近隣に魯山人の看板を持っているところは多いのですが、
みんな大切にお家の中で飾っているので、
入らないと見られませんが、
菁華窯のお店だけは今も店の前にかけています。
(これを真似して、私は似ても似つかぬうちの表札を作りました。笑)

魯山人のいろいろを見た後、
山代の総湯で、お風呂となります。
ここは古い総湯を、再建したもので、
シャンプーも石鹸も使えない、
脱衣所も浴槽の脇にあるという古いスタイルです。
昔東北で入った鉛温泉もこう言う大きな浴槽で、
非常に天井が高く、脱衣所もすぐ脇にあるタイプでした。

山代温泉のすぐ上の方に山中温泉がありますが、
どちらも、橋立港などに帰ってきた北前船の船乗りが、
航海を終えた後湯治をしたところです。
山中温泉に今も伝わる山中節という民謡は、
船乗りの歌う甚句が元歌で、
温泉芸者のお座敷唄になったと言われます。
これと同じような話は宮本常一の本で読みました。
船乗りと、港の近くの温泉または花街と、芸者と三味線と唄、
これらはひとつながりになっていて、船乗りは移動しますから、
彼らと共に唄も移動したのです。
船乗りたちは、
昆布やお酒、米や鰊と一緒に実は唄も運んでいたのです。

橋立の北前船資料館は船主の超豪壮な屋敷を、
そのまま博物館にしたもので、
呆れるばかりに広く立派で、想像以上に充実した展示でした。
いろいろの港に船主はいましたが、
橋立は特に多く、1796年の記録で42名の名前があります。
ですから街全体がリッチな感じであふれています。
堀田善衛という作家がいますが、この人の鶴見俊輔との対談で、
生家が廻船問屋でお金持ちだった話が出てきましたが、
展示にあった各地の主な船主の名前に、
富山の堀田善兵衛という名がありました。
どう見てもこれが彼の爺さんかひい爺さんと思われます。

ここをゆっくり見た後、
やはり船主の家を民宿にして娘さんたちが切り盛りしている
ところがその日のお宿というわけでした。