松井なつ代のやま

ステンシルのイラストや本の紹介、麹の話、そのたいろいろ。

「世界11月号」から、アメリカ

最後にもう一つ先日自死した一橋の学生の問題について、
大学とはどういうものであるべきかという側面から。
清水晶子氏の記事。

全く似たような事件がアメリカであった。
アウティングされたゲイの学生が自殺した。
彼は一橋の男性と同じように最初に、
大学当局に相談し、対応を求めている。
結果は両方とも命が失われたわけだが、
アメリカの大学(ニュージャージー、ラトガーズ大学)は、
誠意をっもって対応しており、
遺族から訴えられるということにもなっていない。

アメリカの大学の対応と一橋の対応を比較すると、
恐ろしいほど違う。
私はこれを読む前に別の記事を読んでいて、
一橋の大学当局の使った言葉なども知っているが、
大学自体が差別に加担しており、
両親からの訴えにより裁判になったが、
全く反省もなければ対応を変えるという言葉もなく、
なんというかだんまり、責任回避のみである。

今回3つの記事を紹介したが、
実はどれもが差別の問題である。
どの分野においても、ドイツ、イタリア、アメリカに比べて、
我が国はと考える時、
こっちがほとんどゼロなので、何倍なのか計算できない…
どれだけ違うか比較できない…みたいな感じなのである。

日本の政府も多くの国民も、差別に対して、
これを克服しようとか幾らかでも改善しようとかいう意識が、
甚だしく薄い。
冷え冷えとした国であるとつくづく感じた。
美しい国」でないのはまず間違いない。