松井なつ代のやま

ステンシルのイラストや本の紹介、麹の話、そのたいろいろ。

「現代思想」おしまい

斉藤環氏の話はいろいろ面白かったが、次に進む。
杉田俊介氏の話。

私は先ほど線引きについて、
自分をダメな方に入れる人はいないと書いた。
人間に線を引いて価値判断をする者は、
他人を判断すると同時に、自分のことも判断している。
自分になんらかの評価を下し、または、
自分はこういう風に他人から評価されるべきであると考えている。
私ももっと若い頃はそうだったろうと思う。
意味のある価値のある生き方をしたいと考えていた。

杉田氏の文章から引用。
「生存という事実には、そもそも意味も無意味もない、ということ。」
自分の生が平等に無意味である、と認めることが、
どんな線引きも拒絶することであると。
「たとえ意味はなく、無意味ですらなくとも、
人の生は自由でありうる」

私がもうポンコツにさしかかった年齢になったからかもしれないが、
この考えにはふっと同意出来た。
よし、それで行こうじゃないかと。

この話には励まされた思いがするが、
その他にやはり深刻な話題もたくさんあった。
自身が障害者である書き手は、
多かれ少なかれ子どもの時から、いじめられた経験、
理不尽な恐怖の体験をしている。
相模原の事件の一報を聞くと同時に、
記憶が蘇って恐怖のあまり体調を崩したひとも多い。
また尊厳死安楽死の世界の現状。
安楽死を認めている国はオランダなどが知られているが、
意外に多く、アメリカの州でもかなりある。
そういう所で、元々は本人の苦痛の回避であったはずが、
医療者主導の、治療効果や経済的な無駄という観点に、
少しずつ線がずれていっている状況には、戦慄した。
また障害児(者)殺しの歴史の話は、
私の力では紹介しきれない重さであった。

この本を読んでいる時、
うさぎの散歩で、通りがかりにおばあさんに会った。
というか見た。
そのおばあさんは、
古い木造のアパートの外階段、急な鉄の階段を、
両手で一本の手すりにつかまりながら、
一歩一歩ゆっくりと登っていた。
じろじろ見ては失礼と思い、だいぶ離れてから、
ゆっくりと振り返った。
おばあさんはまだ中腹にいた。

あのおばあさんはああいう風に階段を上っている。
本当にかっこいいなぁと思った。