真面目かよ?
以前、ネット上で炎上させるのを趣味としている大学生の、
取材記事を読んだ事がある。なぜか二回も読んだ。
いわゆるネトウヨである。
ターゲットは社会的な分野では左に偏っている。
芸能人などはその限りではないが。
嘘でもデマでも構わない、書き込みや拡散を情熱的に続けて、
炎上し、ブログを閉鎖するに至らせる事ができると、
大きな達成感を得るという。
その彼は、本人を特定され、裁判になって、
損害賠償を請求され、急に慌てて、
なにマジなこと言ってんの、ねただろ?
というような事を言っている。
これを読んで感じたのは、
この若者は見事に少しも真面目でないということ。
不真面目の塊であるということだ。
なんでもネタとして消費する系の人は、
冷笑系にしても、総じて真面目とは言い難い。
では、人間はなぜ真面目でなきゃいけないのか。
真面目を辞書でひいてみる。
「真面目」という言葉は、しんめんもく、とも読む。
その最初の意味は、本来の姿。ありのままの姿。である。
そして二番目に、
本気であること。真剣であること。また,そのさま。
誠意のこもっていること。誠実であること。また,そのさま。
というふうになっている。
真面目というのは、本来の姿なのである。
私は動物たちを見ていつも思うのは、
真面目だなぁということ。
彼らは本来の姿のままなのだろう。
この若者は物事を、
「真剣に受け止めることで自分が受ける衝撃のリスク」を、
回避するために、ネタという形でそらす。
そうやって自分を守っているように見える。
しかしそうするうちに、あらゆる事が架空の出来事で、
本人の存在自体が、ネタのようになってしまいそうである。
それで本当に満足なのか。
彼が言う達成感というのは本当に満足のいくものなのか。