松井なつ代のやま

ステンシルのイラストや本の紹介、麹の話、そのたいろいろ。

鉄の話など

網野さんの対談集で森先生の話。
「「新唐書」という中国の歴史書の中に、
「邪古(やく)波邪(はや)多尼(たね)」の三小国の王があって、
織物の取引に来ると書いてある。」
これは、隼人の国と屋久島と種子島のことだという。
奈良時代には、これらの島は独自の王を戴き、
中国と貿易をしていたのである。

鉄砲伝来の種子島だが、本当に小さい島です。
あそこで火縄銃ができたのは、
すでに製鉄の技術があったからだと別の本で読んだこともある。
鉄に関しては面白くて、
日本ではいろんな場所で簡単にちょこちょこっと鉄を作っていた。
島原の乱のことを書いた、「出星前夜」の中では、
この地方では鉄砲の扱いは若者でも知っていたし、
城址に立てこもった時、セッセと鉄砲の弾を製造していたのは、
農家のおかみさんたちなのであった!
製鉄には燃料の木がたくさん必要だが、
これは気候的に我が国には豊富にあった。

しかしそれだけでなく、
昔の日本人は資源の使い方がすごくうまかった思う。
これは別の塩野米松さんの本だが、
紀州の炭焼きの話では、炭に使う木は根こそぎに切らない。
枝を切るので、一つの山を幾つかのゾーンに分けて、
回していくと、永久に使える。
またこれは東北の話だったが、日常の道具を作る職人は、
木や蔓や竹などの必要な部分を、
それぞれが時期をずらして山に入って、いる分だけ取っててくる。
お寺の伽藍のように樹齢何百年という大木が必要なものは別だが、
工夫すれば天然資源はまさに永久に枯渇しないのである。
また、山の北側に生えるもの、南に生えるもの、
成長の早いもの遅いもの、それぞれが適した使い方があって、
そういうものの見極めの知恵はすごいものがあった。
これこそが合理的と言うんじゃないか。
(塩野さんの本は図書館で読んだので手元にないが、
ものすごく面白かったのでまた読みたい。)

話は逸れたが、日本では鉄製の農具、鍬や鋤は、
全国に豊富に行き渡っていて、
それが日本の農業の質をを支えた。

話はまとまりがなかったけど、
森先生の話はすごく面白いから、
また紹介するかもしれません。