松井なつ代のやま

ステンシルのイラストや本の紹介、麹の話、そのたいろいろ。

網野善彦対談集の続き

網野善彦の対談集に戻っています。
森浩一先生と網野さんの対談は本にもなっていて、
とても面白いですが、それの元が出てきます。
二人が話すと、考古学と歴史学の間を話が飛び交って、
調子に乗っちゃう感じで。
あー面白いなぁと思っていたら、

次の回は谷川健一が出てくるが、でてくるなり、
異様にペシミスティックで不機嫌である…
民俗学なんちゅう学問はやはり、
老人に昔の話を聞いたり、古い民具を調べたり、
日本人面白いなぁと思わなくてはやってられんもんなんだろうが、
その時の谷川さんは日本人を嫌いになっちゃった、
という気分なのでした。
宮本常一の「忘れられた日本人」について、
あの老人たちこそ美しい日本人だったと。
網野さんは網野さんで大学で毎年「忘れられた日本人」を、
テキストにしてゼミをやっているが、
5年前くらいから、てんで面白くなくなった。
学生が反応しなくなったという話をする。
網野さんは今の若い学生はあの当時の日本人と、
生活習慣も何も切れてしまった。
出てくる道具火鉢も知らないし、と。

でも、知らないからじゃないと思うよ、私は。
だって言葉も習慣も、身の回りの道具も違う、
外国の人たちの小説だって、
夢中で読んだことあるでしょう。
私だってポンドという単位もピンとこないし、
ヨークシャプディングを食べたことなくても、
さんざんイギリスの小説は読んだし、面白かったよ。
出てくる人たちは自分と同じ人間で、
泣いたり笑ったりする所はそう違わない。

生活習慣が切れたんじゃなくて、
気持ちが切れたんだと思う。
遠くの人には(時間的にも距離的にも)興味が持てない。
いわゆる、関係ない!というやつ。
あと、もしかして文章の内容がつかめていないという恐れもある。
日本語能力的に。
なんかね、ちょっと前に新聞で読んだ、
大学生の就活事情の記事のインタビューに出てくる、
あの子もこの子も言ってる言葉が上滑りして、
どうも内容がピンとこなかったことなども思い出して、
完全に谷川さんの鬱っ気がうつってしまった。
どうしてくれよう。

あのお爺さんたちは宮本さんのおかげで、
谷川さんや網野さんや私の中で、
まだ生きていたけれど、
ついに本格的に死んで、完全に忘れ去られる時を、
迎えようとしているのかなぁと。