松井なつ代のやま

ステンシルのイラストや本の紹介、麹の話、そのたいろいろ。

「数学する身体」お終い

著者は大学に入学してまもない頃(文系の学部に)
たまたま通りがかった古本屋で、
岡潔の「日本のこころ」という本に出会う。

岡によれば、
数学の中心にあるのは「情緒」だという。
「五感で触れることができない数学に、没頭するうちに、
内外二重の窓がともに開け放たれ『清涼の外気』が
室内に入る」
これが数学の喜びなのだという。
「数学」と「身体」このかけ離れているように見えるものが、
実は深く交わっているのではないか…
著者は数学を学ぶ決心をするのである。

岡潔は1901年に生まれた。
京大の講師からパリ留学を経て、広島文理科大助教授になる。
ところが1930年、故郷の奈良県紀見村に戻り、
世間との交渉を絶って、数学と農業に没頭する生活に入る。
岡潔の研究対象は、「多変数解析関数論」というもので、
もはや私には全く想像することもできないが、
ヨーロッパで高く評価され、
国内でも注目され、1960年には文化勲章を受ける。

岡は松尾芭蕉が好きで研究もしている。
芭蕉は雑念から解き放たれて、自然と一つに溶けあった時に、
一瞬で言葉を掴み取る。
これは数学も同じだというようなことを書いている。
芭蕉についてはなんとなくわかる気がする。
俳諧師という人たちは、すごい勢いで、
大量の句を詠むことができる。
短い文章に情景や気配や想いを圧縮するという作業なのだが、
これを瞬時に処理することが出来る身体を持っているのだ。

「私は数を数える」というところから始まった数学が、
どんどん私から離れ、純粋な理論の世界に分け入っていった。
それがここに来て再び私の身体に舞い戻ってきたのか…


人工知能の話でもあったように、人は理論的には(脳で)、
ノイズや漏れを完全に排除して考えるが、
コンピュータという現実は、実在するかすかな漏れを、
高性能だからこその巧さで、
拾ってそれを使って近道を選んだりする。
こうして理論上はあり得ない事が起きる。
賢い脳ではなく頭が悪そうな腸が、
細菌の微妙なバランスの中で実は選択的に、
「考えている」のが我々の身体であるというのを、
思い出す。

数学音痴の私には正しく理解できたとはとても思えないが、
それでも面白く読めた。
安田登さんと芭蕉については対談もしている。
それも読んでみたい。

小林秀雄賞を受賞したらしいね。素晴らしい!
「数学する身体」森田真生著 新潮社