「数学する身体」4
そんな私から見ると、
ギリシャ人はまず考えられない人たちである。
そもそも数字は数や大きさを知るために、
日常の必要のために作られたものであり、
その計算方法が徐々に生みだされた。
ところが紀元前5世紀、ギリシャでは、
いかに答えを引き出すかではなく、
なぜその答えが正しいかという理論にこだわり、
「証明」を重視する数学が生まれる。
500近くの数学の基本命題集である。
「定義」の後にひたすら「証明」を伴う「命題」が続く。
「数字を使って何かに役立てようという意思は背景に退いて、
目を凝らして「かず」や「図形」の織りなす世界を、
「よく見よう」という静かな情熱がギリシャ数学を貫いている」
(本文から引用)
うーん、ちょっと信じられない。
昔息子が美術学校を目指していた頃、彼に、
「ぼくはなぜ白いギリシャ人を描かなきゃならないかわからない」
と言われて、確かになぜか?と頭を抱えた事がある。
そんなこんなで、
前々からギリシャ人はなんか怪しいと思ってた。笑
歴史のパースが妙に狂う感じや、
ギリシャ神話のやばい感じ…
ま、その後いろんな数学者たちが登場して、
数学の世界は広がり変化し深化していくわけだが、
この本の中で最もページを割いて紹介されている、
二人の数学者、アラン・チューリングと、岡潔について、
ちょっと書いたらおしまいにする。