松井なつ代のやま

ステンシルのイラストや本の紹介、麹の話、そのたいろいろ。

キューバーー!!

【速報】中国医師団、キューバ医師団とともにイタリアに到着 マスコミが一切報じないキューバが開発した #新型コロナウイルス に有効な抗ウイルス薬インターフェロン・アルファ2bを引っ提げる

もりこさんリツイート


いかなる時もどこへでも応援に来てくれる、
キューバ医療チーム!!
鬼のように人道的!!!!
キューバを悪く言う奴は私が許さん。
確かに食べ物はあんまり美味しくないらしいが。

信頼感

図書館から借りてきた本のうち一冊は、
途中でやめてしまった。
プリモレーヴィのインタビュー集であったが。
本自体に信頼感を持つことができなかった。

まず読み出してすぐに、
「間髪なしに」という表現が出てきた。
これはないだろうと思った。
今回一応調べて見たが、
間髪を入れずというのは元々漢文の一節で、
「間 髪を 容れず」(容れずが本来の形らしい)
このまま慣用句として使われており、
間髪と言う名詞は存在しえない。
次は、最初から最後まで常にと言う意味の、
「終始」が「終止」となっている誤植。
ま、他にも有るのだが、
一番問題だと感じたのは次のようなことである。
作家に対するインタビューなので、
度々レーヴィの著作の話が出てくる。
彼の最もたくさん読まれている本の名前は、
日本では「これが人間か」と言うタイトルで出ているものである。
この本が話題に出て来るたびに、
「これが人間であるか」と書かれている。
訳者は原題に合わせたと書いていたが、
最も古い旧題「アウシュビッツは終わらない」を、
外したのはそれで良いと思うが、
〈である調〉に変更して、
より原題にそうようになったかははなはだ疑問であるし、
そう言う話だけにとどまらない。
本と言うものは一冊の独立したものではなく、
その本を通して読者の世界を広げて行くべきものである。
正確な題名で表記することで、
読者はその本にアクセスすることが可能になる。
訳者がその題名が好きか嫌いかは全く関係がない。
今出版されているそのままのタイトルで表記することは、
常識ではないか。
そういう意味で著者や出版社に対して共感が持てなかった。
わたしのプリモレーヴィに対する信頼はすでに、
確固たるものであるので、
そこは揺らぐことがなかったのは幸いである。
そう言うことすらあり得ると言うのが、
本の恐ろしさである。

「これが人間か」のイタリア語の原題
Se questo e un uomo
(動詞eの上にアクサン)

プリーモ・レーヴィは語る」

多木陽介訳 青土社

マニングが釈放された。

大矢英代さんのツイートで知った。

本当によかった。

ウイキリークスに情報を漏洩させたた罪で、

一時は懲役30年以上だったと思うが、

オバマの恩赦とかあって、詳しくは知らないが。

わたしがデモクラシーナウでこの人のことを読んだ時、

軍人の男性だったが、その後女性になった。

昔から性の不一致を自覚していたらしい。

そんな事もあって、中傷や裏切り者扱いなど、

不当な目にいろいろあったとおもう。

今回証言を拒否した罰金2400万円とかが、

課せられていたが、

多くの人の善意でそっくりお金が寄付されたらしい。

こういうところはアメリカの良さ。


中国では引きこもりのゲーム中毒の、

深刻な人が多いと聞いていたが、

今回のコロナの騒動で、武漢の感染した人に、

薬や食べ物を配達する、

無人車やロボットを遠隔操作する仕事で、

活躍してもらったというツイも見かけた。

これはちょっとニヤッとするほど素敵なアイデア

彼らは自宅にいて、得意な事で、

社会の役に立ててきっとちょっと嬉しかったと思う。

本当に賢い。これぞ適材適所や。

アメリカも中国もやばい部分はいっぱいあるし、

諸手を挙げて褒めるつもりは全然ないが、

こういう部分が有るのが魅力。

今の日本は魅力というものがない。

周りを見回してもいいとこもあるじゃんと思えない。

物事の基本に愛情とか温かみみたいなものが、

本当に見当たらない。

通り一遍の杓子定規で冷たい社会。

政治的

世界を見渡して、
日本ほどボロボロに堕落した国がない。
やはり長い間、老いも若きもこぞって、
政治的な話はちょっと…
あいつは左巻き…と言って、
政治の話をしないことをよしとしてきた結果だと思う。
前にも書いたと思うが、
政治とは何かと言えば、中心になるのは、
みんなのお金を集めて、何かに使うということ、
税制と再配分である。
このやり方の選択の仕方で国の形はだいたい決まってくる。
これに一切興味を示さなければ、
どうしても無視されて行くということだろう。
先日来読んだ、
ポーランドの恋愛小説「人形」も、
チェコの「わたしは英国王の給仕をした」も、
ある意味非常に政治的な小説である。
一般庶民が鋭い政治批判をするかといえば、
そうではないかも知れないが、
みんなの自国の政治について意見を持っている。日々の生活に直結しているのだから当たり前である。
それが普通である。