松井なつ代のやま

ステンシルのイラストや本の紹介、麹の話、そのたいろいろ。

日本国憲法

アベは現在の日本の憲法が大嫌いで、
みっともない憲法だとか、
押し付けられた憲法だとかいうわけである。
特に憲法の前文が大嫌いらしい。

最近私は、
アベやそのお仲間だけでなく日本人全般についても、
じつはこの憲法がきらい、もしくは、
しっくりしていないんじゃないか、
実際に押し付けられたように感じているんじゃないかと、
ちょっと疑うようになっている。

近代国家の建前としては、憲法を国の最高規範として、
これに則って政治を運営するというわけだが、
この憲法のいうように、
主権は在民であって、国民は等しく、
健康で文化的な生活を送る権利があるという、
この事がそもそも、
ちゃんとその通りだった事が今まであったのだろうか。
今でも多くの国民は、
貧乏人は大学行けなくて当たり前だとか、
生活保護は甲斐性なしの恥ずかしい人のものとか、
考えているみたいだし、
女のくせに偉そうなこと言うな!と、
男女平等なんてとんでもないという、
男たちもそこらにいっぱいいる。
要するに国民の考え方の平均に比べると、
現在の憲法はだいぶ上等すぎるんじゃないか。
身の丈にあっていないんじゃないだろうか?
だからもっとぴったりくるものに、
変えたいという人が少なからずいるというか。
そうでなければ日本会議なんていうのが、
こんなにのさばらないし、
人権をものともしないレイシスト
大手を振って歩く事もないのではないか。

日本人は本当は自由とか平等とか、
たいして欲してないのかも。
もしかして平和も。
自分が行かないという前提なら、
戦争も良いと思っているのではないか。
以前見た学生は実際そう言っていた。
自分のようなもの(エリート)は、いく必要がないしと。
東大生に自民党支持が多いのも、
ほぼそういう理由だろう。
その彼は慶応だったが。
彼らはクラス社会に住んでいる気分なのだろう。
すでに不平等を肯定している訳だし、
自分が戦争に行くのは嫌なのだろうが、
戦争反対!ではない。
不平等に抗議する人もよく聞くと、
自分が得する側に入っていないことへの不満だったり。
平和と言っても自分限定だったりね。
平等を嫌いな人は予想以上に多い。
平等は、自分の取り分を奪われる事と受け止める人は多い。

自由や平等や平和を欲してない人に、
それらを望ませることってできるのか。
私は自民党の案の内容はもとより、
あの気持ち悪い文章がたまらなく嫌だけど。
小さいことと思うかもしれないが、
文章は本質を表してしまう。
あの文章の品のなさ薄っぺらさは、
全てを物語っているような気がする。

こういう身も蓋もないことかんがえるの、
冷笑系っぽくて良くないのかなぁ。

スペイン

スペインではZARAの創業者オルテガが公医療を支援するNGOに1000万ユーロ(約13億円)の寄付しようとしたら「もっと納税することで公医療を支えてくれ」と言って受け取り拒否された。富裕層の寄付が賞賛を受ける米国とは文化が全然違う。
莫大な寄付によって一私人が公医療に大きな影響力を持ちうるというのが問題視された。個人の寄付に依存するシステムはもはや公的システムではないわけで、税金として集めたお金をの使い道を国民の代表である議会が決定して国の予算として分配するのが、最も民主的な富の再分配の方法という考え方。

ramonbookpurojectさんついとより

スペインという国は本当に興味深いです。
公共というものがほぼ機能しなくなっている、
また誰も期待しなくなっている
アメリカとそれを追いかけている日本。
日本について言えば、かつてあったのか疑わしい。
スペインはちゃんとこういう考え方を持っている。

今日は原爆が広島に落とされた日。

評価、最後

またあのドイツの話になるが、
オットーと妻がベルリンの街角に置いたハガキは、
実際にどうなったか。
見つけた人は危険を察知して、
見なかった事にして立ち去るか、
毒物かなんかのように、慌てて警察に持ち込むかした。
彼らの意図は一般の市民に、
ナチの危険を知らせる事が目的であったが、
それが遂げられたたとはいえない。
市民はろくに内容を読む事さえしなかったのだから。
じっくり読んだのは彼らを追っていた、
当局の人間だけであった。
これは、自己満足に過ぎない、と言われる案件だろう。
しかし、ドイツから遠く離れた日本の私は、
彼らの行為に勇気付けられた。
そうか、こういうやり方だってあるんだと。
今回映画化されたことで世界中の多くの人が私のように、
感じるかもしれない。
もはやこれは「過ぎない」ではすまない。

もう一つ、またおじろくの話に少し関連して。
宮本さんの海の話から。
江戸時代、幕府は鎖国政策を取っていたので、
勝手に遠くまで行けないように、
大きな安全な船を作る事を原則として禁じていた。
だから海難事故は非常に多かった。
海での輸送に関わる危険な仕事をするのは、
生まれ在所で生活ができなかった貧しい農家の、
次男三男が多かったと。
彼らは生涯所帯も持たず子も持たず、
湊港で女性と酒を飲む事があったにしても、
社会の一員として落ち着く事もなく、
ある日ひっそりと海で死んで行ったのだ。
そういう人がいて今日の我々がいると、
宮本さんが何かの本の最後にひっそりと書いていた。
誰もが忘れ、気にもかけないなら、
せめて私はそれを憶えていようと思った。
そうして、名もない勇敢な人達は、
私に重大な影響を与えた。

自己満足に過ぎないと発言する人達は、
人は、たまに、自分の目の前に結構高いハードルを立て、
それを乗り越えようと、
ひたすらに真面目に生きる事もあるという事を、
多分知らないのだと思う。
そういう生き方は巡り巡って、
いつかは誰かに大きな影響を与える事もある。

ハーイ

f:id:natsuyono:20170804133723j:image

これは多分インド大リスというやつだと思う。
随分とロックなおかたでしょ?

うちの蝉はざっと見た感じで、50は穴があるから、
60以上は出てきていると思います。
まずまずです。
例年と出る場所が少し違う。
例年見上げると、
葉っぱの裏にいっぱい抜け殻が付いている、
シデコブシの下は全然穴なし。
流行か。
中が満員かどうかは、入ってみるまでわからないだろうに。
どういう事でしょうか。

ゴーヤはただ一つぶら下がっています。
満願寺はどんどん花は付くがこれも落ちて、
ただ一つ実りそうです。
どちらも一つじゃねぇ。
種をとるか、食べるか。

 

築地…

築地の場外で火事が発生した。
えーっ!その瞬間、
古典的な手法を思い出さずにはいられなかった。
怪しすぎるよ。
8時間も燃えた。
場外、どうなるのか…

築地を潰してオリンピック用の駐車場にするって、
もう少しまともな理由思いつかないんかな。
おりんぴっく…

世界の住宅問題を読んでいると、
日本の問題先延ばし建設業者べったりの政治はずっと前から。
いよいよ困窮者がふえてくると、
規定をきつくして、対象者の数を減らすという事をする。
問題の解決には決して手をつけない。
ため息しか出ない。

「る」

f:id:natsuyono:20170803124736j:image

大昔からしりとりでも「る」は難しくて、
動物なら「ルリカケス」、食べ物なら、
「ルフトハンザの機内食」という事になりがちだった。
(ルビーというひともあり)
ま、そんなんで今回も登場。
このシリーズの絵の具では、
美しい瑠璃色が出なくて、ちょっと残念だけど。

犯人はうさぎじゃないかと思う。
庭のルッコラもうさぎにだいぶやられた。
最初は偶然だったのに、
そのうち好きになったみたい…

さていよいよ最後の一枚なのさ。
もう描きかけているんだが、
色でぐずぐず。
ぐずぐずもこれでおしまいと思って、
許している。

評価の続き

自分の目標、自分の基準というふうなことを言うと、
きっと、「それは自己満足だ」という人が出てくる。
まさにそうである。
自己も他己も満足できればまことに結構であるが、
どちらかと言われれば自己を先行するといいと思う。
自己の満足が他己の著しい不幸に繋がらない限り、
(これははずせないが)
それがいいと思う。
〈注、タコと読んでね。笑〉

チベットの坊さんが言っていたように、
人のどんなちっぽけな発言も行為も、
必ず!周辺になんらかの影響を与える。
ものすごくかすかにだとしても。
(私が満足して機嫌が良ければ、
例えばうさぎちゃんも嬉しいだろう!)
だから、評価の基準が自分の設定したものであっても、
社会に貢献出来ると言えば言えるのだ。
(うんと狭い社会だけど)
天才じゃない普通のしょぼい我々は、
そう言うかそけき良い影響を与えるというレベルの、
満足をするのがよい。
多くの人がそうなれば、
全体としてよい社会になるんじゃなかろうか。